戦争末期 追い詰められる中で処刑
石垣島事件が起きたのは終戦の4か月前、1945年4月15日のことだ。撃墜された米軍機からパラシュート降下した3人の米兵を捕らえて、その夜に殺害した。無差別爆撃をしていた米兵については、軍律会議をひらいて処刑するのがルールだった。
恵泉女学園大学 内海愛子名誉教授
「石垣島事件のケースだと、空襲軍律で爆撃した人の処刑はあり得るんだけど、そういう裁判すらやらないで、追い詰められる中での処刑だったと思うんですね」
石垣島で捕らえられた連合軍の兵士は、以前は台湾に送られていた。しかし、すでに沖縄戦も始まり、食料の供給も含め台湾との輸送は途絶えていた。連日の連合軍からの空襲で、石垣島警備隊では死者が続出していた。戦況がひっ迫する中、正式な手続きもなしに米兵の処刑が決まり、命令に従って将校も下士官も米兵を手にかけた。
















