庄司選手は、開幕前から今シーズン限りで現役を引退することを決めていた。20年に渡る競技生活の最後に富山を選んだのは、中学時代に日本一に輝いた経験と地元・大阪でのある出会いがあった。
(第2話・総集編/取材:島津有希)

「ブリのように大きくなってまた帰ってきた感じもありますね」
毎年氷見市で開催される「春の全国中学生ハンドボール選手権大会」、通称「春中ハンド」。日本中の中学生ハンドボール選手が憧れる舞台だ。庄司選手は中学2年生のとき、第5回大会(2010年)に大阪代表として出場し、見事優勝を果たした。

「各県の代表チームに氷見市内のそれぞれの街で応援団として割り振られていてとても賑やかだった。地元のおじいちゃんやおばあちゃんが応援してくれたり、何か手伝ってくれたりと。そのときは『この人たちはなんなんやろ』って思ってたんですけど、今改めて来てみると地元の人たちが手伝ってくれてたんだなって」

大会の思い出はそれだけではない。泊まっていた氷見市の温泉旅館「うみあかり」では、優勝後に船盛を出してもらったこと。大きな部屋でチームメイト全員と雑魚寝しながら、試合の結果や内容についてなど語り合ったこと。その体験が、少年の心に深く刻まれた。

「そのときに一緒の大きい部屋で語り合ったっていうのが、ぼくの中で大きい経験になったのかなと思って。あの時の中学生が、出世魚のブリのように大きくなって、また氷見に帰ってきた。そんな感覚があるんです」
縁は10年以上前に購入したユニフォームストラップにも
さらに驚くべき「引き寄せ」がある。春中ハンドの名物グッズである背番号入りストラップ。庄司選手が当時購入し、大事にしていたアイテムを製造していたのが、現在、彼が勤務する「トライ・プリント」だったのだ。

斎藤隆俊社長は、このエピソードを感慨深げに語る。
トライ・プリント 斎藤隆俊社長
「庄司君がうちに来たときに『実は僕も中学生のときに、この氷見に来て春中ハンドボール大会に出場しました。その時に実はそのユニフォームストラップを買って、今でも大事に持っています』という話をしていました。当時中学生だった彼がそのキーホルダーを大事に身につけて、また氷見に戻ってくるというのは、すごく感慨深いものがあるし、深い縁を感じました」
氷見移住の裏には大学時代に出会った親友との約束があった
氷見との縁に加え、庄司選手の背中を押したもう一つの力がある。大学時代の親友であり富山県出身の中川雄一郎さんとの約束だ。
「大学の友達が高岡商業高校の野球部出身で。彼が大阪経済大学のときに『将来は富山に帰らないといけない』と言っていたんです。それなら『じゃあ一緒に富山に行って面白いことしようや』という話を当時はしていました」
中学生の時にハンドボールの聖地・氷見と出会った庄司選手。後に出会った親友との約束を胸に将来の構想を育てていった。自らが関わる競技の聖地と言われている氷見で、ハンドボールを通じて子どもたちに何かできないだろうか——そんな思いが、徐々に形を帯びていく。
「富山で何かしたいと思っていたときにドリームスができた」
福岡県のゴールデンウルヴス福岡を経て、庄司選手が富山へやってきたのは2023年4月のこと。富山ドリームスが日本リーグに参入した記念すべき年だった。
当時のチームはリーグ未経験の大卒選手が中心で、体つきもまだ細い若手が多かった。その中で、すでにリーグで4シーズンのキャリアを積んでいた庄司選手はチーム最年長。経験豊富な「頼れる兄貴分」として、若手たちを牽引し、慕われる存在となった。
「いつかは富山に行きたかったので、そのタイミングでチームが出来てラッキーだなと思った。先に森康陽コーチ(元ゴールデンウルヴス福岡)が来ていましたが、どんな状況であってもドリームスに行くと決めていました」
「富山で“何か”したいと思っている時にドリームスができたような感覚ですね」
もっとハンドボールの聖地を盛り上げるために
選手とサラリーマンの二刀流をこなしながら、庄司選手はすでに行動を起こしていた。もっとハンドボールの聖地を盛り上げようと子どもたちに運動する機会として「かけっこ教室」の開催や、2026年4月にはハンドボールチームのない砺波・小矢部・南砺市を対象とした小中学生向けのクラブチームを立ち上げた。しかし、彼の情熱は「教える」ことだけでは収まりきらなかった。

「今度は子どもたちのために逆に恩返しじゃないけれど、私が居場所を作るっていうのは、本当に私がやりたいことなんだなと思います」














