「朝貢」から始まった島の歴史
北西側の硫黄岳は溶岩ドームの形態で、山頂には直径約500mの火口が口を開け、南東側には「グスク」と呼ばれる火山が続く。周囲は断崖で人が立ち入ることは容易ではない。土地はやせ、深い森も川もなく、水の確保すら困難な環境だ。
それでもかつて、この島に根を張り、生き続けた人たちがいた。
島に人が定住した正確な時期は不明だが、14世紀後半には琉球王国以前の中山王が、中国(明)へ硫黄を朝貢し始めたという記録(※)が残る。硫黄はこの島でとれたものと推定されている。(※太祖実録)
硫黄は火薬の原料として中国で珍重された。島民は、年間で硫黄1万6000斤と大型貝類の加工品 800枚を上納する代わりに、労働奉仕を免除され、米の支給を受けたという。














