なぜ八女市が?中心になりかけた過去も

首都移転の候補地に挙がった昭和の戦時中。

その前が1300年代の南北朝時代。八女が南朝方の拠点となりました。

そして最初がおよそ1500年前、九州北部で最大規模の前方後円墳・岩戸山古墳に埋葬された豪族・筑紫君磐井(つくしのきみいわい)の時代です。

岩戸山歴史文化交流館 伊崎俊秋館長
「ヤマト王権に対して戦いをしたという人ですからやはりかなりの力を持った人であった。結局ヤマト王権が勝った。そこが古代日本の国家形成の起点になったような戦いであったという位置付けがされているわけですね。そんな中での磐井の勢力というのはそれまではすごく強かっただろう」

ヤマト王権と戦い敗れたとされる磐井。一族の墓からは朝鮮半島由来の埋葬品が見つかるなど力を持った勢力が八女に存在していたのです。

岩戸山歴史文化交流館 伊崎俊秋館長
「歴史に『もし』ということはないわけですけれども、ひょっとして筑紫の方が勝っていたらですね、日本の中心になるようなこともありえたかもしれない」
副首都構想について今の八女市のトップは・・・

八女市 簑原悠太朗市長
「福岡県に副首都機能が移転するというのは福岡県に人物金が集まってくるということに繋がりますので当然八女にも大きな恩恵がある。むしろそこの議論にも積極的に参画することで、八女もある意味、副首都の機能の一部を担うぐらいのですね、立ち位置というところを今後取っていければなというふうに考えております」














