番組では、北島さんの曲の替え歌なども披露し「16~18歳といろんな経験もさせていただいたり」と貴重な10代を過ごしたと話します。
高校を留年した際には「まつり」の替え歌で「ダブりだ、ダブりだ、ダブりだ、留年まつり」と留年という苦い経験さえも『まつり』の替え歌にして周囲を明るくさせたエピソードも紹介し、「でも目標があったから歩いてこれたのかな」と前向きに受け止めていたことを伝えました。

大江裕さん



こうした歩みの末、北島音楽事務所からプロデビューを果たした大江さん。

デビュー曲「のろま大将」は北島さん自身が作曲した楽曲であり、「(作曲に北島三郎さんの別名義の)原譲二って書いてあって・・・『え!? 北島先生じゃないですか!』ということで、一生懸命それを覚えて、本当に幸せですね」と喜びをかみしめました。

大江裕さん



デビュー後は1日で1000枚のCDが売れるほどの反響が。
コンサートの最前列に高校生が座っていたことも、大きな喜びだったと語りました。
「どこ行ってもありがとうございます、ありがとうございます。もうこれしかなかったですね」と当時の感謝の気持ちを明かしました。

大江裕さん

しかしデビューからわずか1年、大江さんは歌えなくなってしまいました。

2010年11月18日、鹿児島・鹿屋でのコンサート中に「のろま大将を歌いきって、頭を下げて上げた瞬間に後ろに倒れそうになった」と回想。

大江さんは、過呼吸と強烈なめまいに見舞われ、舞台袖で意識を喪失。

その日の公演は中止となってしまいました。

大江裕さん

病院で検査しても身体的な異常は見つからず。

そこで、心療内科を受診したところ「重度のパニック障害」と診断。

さらに医師からは「休業するより辞めた方がいいと思います、歌手をね」と告げられたといいます。

大江裕さん