3.11その日、立野さん家族に...

あの日、妻の和子さんは立野さんの母のきみ子さんを避難させるため、自宅へ迎えに行き、2人は津波に流されました。

立野 次郎さん:
「町内の人が、『立野、お前のところの母ちゃん(妻・和子さん)はいつまであそこに車を停めてるんだ』と。『急いで逃げろとさんざん言ったべ』と。ばあちゃんが困らせたんだと思うけど」

立野さんが住んでいた、石巻市南浜地区の死者は500人以上。大勢の人が逃げ遅れた理由に、ある「心当たり」があります。

立野 次郎さん:
「3月11日のちょっと前、2日ぐらい前に、地震があったんだよね。そのとき河口に消防団で行ったんだけど、そのときは少し(津波が陸に)上がったの。ほんの気持ち。側溝から水があふれる程度に。あれがもう少し膝上とかに来ていれば、(3月11日も)みんな逃げたと思う。今回、150%みんな知ったと思う。『津波が来たら逃げなきゃいけない』というのは。やっぱり逃げなきゃいけない。何としても逃げなきゃいけない」

「まもなく午後2時46分を示すサイレンが鳴らされます」
「黙とう」

立野 次郎さん:
「手を合わせているときには、『何十回来なきゃいけないんだべや』という思いと、『本当にもう一回顔が見たいな。会いたいな』とそれは思ったね。叶わぬことなのかもしれないけどね。できることならもう一回本当に…」