戦後80年 四半世紀ぶりに行われた大規模な調査 海底から家族の“生きた証を”

2025年、髙良さんは鹿児島県薩摩半島の南端、山川港にいた。

ここは漂流の末、髙良さんが救助されたとみられる場所だ。85歳となり、残された時間はもう少ない。戦後、初めてこの地を訪れた。

髙良政勝さん(85)
「家族みんな、ここで亡くなった、別れたんだなと思うと涙が出てきました」

国は戦後80年にあたり、約1億円の予算を計上。2025年11月末、対馬丸の大規模な調査が四半世紀ぶりに行われることになったのだ。調査船には、最新の技術が使われている。

(内閣府調査委託先)海洋エンジニアリング 勝野遊 調査員
「カメラが非常に良くなったということで、ハイビジョンカメラとカラーカメラを2基搭載しています」

無人探査機は海底2000メートルまで潜ることができる。ロボットアームも付いていて対馬丸周辺で「遺留品」の回収も目指す。調査には、3D技術が導入されている。

勝野遊 調査員 
「どんな姿になっているのか、どんな朽ち方をしている、どんな攻撃を受けたのか。最終的にここまでいけたらいい。一番の目標」

そして、いよいよ。

記者
「対馬丸の調査のため、今、最新の技術を乗せた調査船が出航しました。新たな真実を見つけることができるのでしょうか」

2025年11月29日、鹿児島県悪石島沖。調査開始を前にデッキでは黙祷が捧げられた。

同じころ、沖縄県那覇市の「対馬丸記念館」。会議室に入るのは、生存者の髙良政勝さんだ。

髙良さんら遺族は調査船から送られてくる映像を、リアルタイムで見守る。

午前8時40分、無人探査機が、ゆっくりと海の中に投入された。徐々に暗くなっていき、光の届かない世界へ向かう。 投入から約1時間10分。無人探査機が対馬丸の船体を捉えた。

調査員
「見えてきましたね、左にあります」
「アンカー(錨)ですかね、飛び出てるもの」

沈没から81年。海底870メートルに今も対馬丸は沈んでいた。

調査開始から2時間が過ぎると、カメラが船体の右舷側、船首付近を捉えたその時。

「出てきた出てきた、馬が出てきた、対馬丸出てきた」

内閣府提供

その文字は、くっきりと残っていた。

髙良政勝さん(85)
「文字を見ると、お亡くなりになった人の顔を見るような感じで、辛くなりました」

そして、遺族たちが強く願っていた「遺留品の収集」に向けた作業が始まった。何か一つでも、生きた証を持ち帰りたい。その一心で髙良さんはモニターを見つめ続ける。

髙良政勝さん(85)
「何かすくって持っていきたい」

しかし、870メートルの深海と81年という時間は残酷だった。

子どもたちの靴や鞄など、身の回りのものは、潮に流されたのか、海底の砂に埋もれたのか、見当たらない。

遺族たち
「タカアシガニ、ずいぶんと立派な」

そのカニのそばには、太い棒があった。

勝野遊 調査員
「おそらく鉄。かなり重たいと思う」

早速、収集を試みると。

内閣府 笹村参事官補佐
「これで上がるってことは思ったより重くない」

勝野遊 調査員
「重くはないのかもしれないです」

内閣府 笹村参事官補佐
「1メートルくらいある?」

勝野遊 調査員
「もっとあるかもしれない」

だが、持ち運ぶには大き過ぎて、収集を断念した。

髙良政勝さん
「せっかく上がったのに、もったいない」

ただ、すぐそばにあった対馬丸のものとみられる木片は、回収に成功した。

髙良さんには、どうしても持ち帰りたいものがあった。

髙良政勝さん(85)
「船の周りに骨らしいものはない?」

内閣府 笹村参事官補佐
「ないですね。潮を見ると流れてる」

髙良政勝さん(85)
「80年も経っているからね」

遺骨の収集を強く願う髙良さんのために、調査チームは「ある決断」をした。

内閣府 笹村参事官補佐
「この辺の砂、積めるだけ積んで」

それは子どもたちが眠る、海底の「砂」の収集だ。

髙良政勝さん(85)
「がんばれ」

海底でも潮の流れは早い。遺骨が混じっているかもしれないその砂を、なんとか箱の中に収めた。さらに調査では沈没に至る痕跡も見つかった。