引き揚げは「技術的に困難」 “風化させたくない”と記念館設立に奔走も…

遺族たちは、対馬丸がどの地点に沈んでいるのかも分からず、長年、辛い日々を過ごしてきた。希望の光が差し込んだのは戦後50年にあたり、国が本格的に平和事業に動き出した時だった。

調査の会見 (1997年)
「対馬丸と断定できないが、似た大きさのものが海底に横たわっている」

1997年、国による調査が実施された。初めて水中に探査機が投入され、海底深くに対馬丸が沈んでいることが明らかになった。遺族たちはようやく、海に眠る家族の居場所を知ることができたのだ。

遺族
「今日は本当に嬉しいです」

遺族
「沈没地点がわかったということだけも安心」

そして遺族はこう願った。

「政府は1日も早く対馬丸を引き揚げて、遺骨収集をしていただきたいと切望いたします」

だが、その希望はすぐに打ち砕かれた。

政府は、870mという深さなどから「技術的に困難」と結論付けたのだ。

髙良さんたち遺族は「事件を風化させたくない」との思いから、対馬丸の記念館設立に奔走した。

髙良政勝さん(当時63歳)
「若い世代の子供たちが来て、この会館を見ることによって戦争をやってはいけないと決意をしてもらえれば、亡くなられた方たちも少しは慰められるかなと」

しかし、記念館が建ち、事件を伝え続けても遺骨や遺品への思いが消えることはなかった。

髙良政勝さん(85)
「単なる財布、鞄というわけにはいかない。遺品の中にはお父さんの魂がある」