原発事故で「2か月以上原乳を捨てた」放射能と闘い続けた酪農家

そんな飯舘村の過酷な状況を、原発事故の直後から発信し続けてきた人がいる。酪農家の長谷川健一さん(当時58歳)だ。

長谷川健一さん
「畑のいたるところに地割れが発生しています。(線量計の)アラームは鳴りっぱなしです」

事故後、ビデオカメラを購入し、村の記録を撮り続けてきた。自らが監督を務め、ドキュメンタリー映画を製作。海外メディアの取材にも積極的に応じた。

情報をなかなか出さない国の対応についても言及していた。

長谷川健一さん
「もうちょっと早く(情報を)出してもいいんじゃねえのって、なんでIAEA(国際原子力機関)じゃなくて、国で出さないの。国に見捨てられたみたいな感じも受けてます」

酪農を続けて35年。自宅で50頭ほどの牛を育てていた。毎日が牛中心の生活だったと妻の花子さん(72)は振り返る。

長谷川花子さん
「おっぱい張れば鳴くし、お腹が空けば鳴くし、人間と同じ。牛の牛乳で私達は生活していた。家族同様でした」

だが、原発事故から1週間あまり。村の牛の原乳から暫定基準値の17倍にのぼる放射性ヨウ素が検出され、健一さんの牛の原乳も出荷できなくなった。

自宅の目の前にある畑。健一さんはその一角に穴を掘り、搾った原乳を2か月以上、捨て続けた。

長谷川花子さん
「穴掘って、ダンプをバックして、2日に1回くらいは捨ててました。自分の体を削ってまで出すんですよ、牛乳。それを捨てなくちゃならない。だから本当に情けない。酪農家はみんな耐えました。とにかく耐えてくれということで」

そして事故からひと月あまり。日に日に痩せ細っていく牛の姿を見る中で、健一さんは酪農の「休止」を決めた。