福島第一原発の事故から15年。全村避難を余儀なくされた福島県・飯舘村は今どうなっているのでしょうか。「日本で最も美しい」と言われた村は、放射能との戦いを強いられ続けました。過酷な日々の記録です。
原発から40キロ離れた「日本で最も美しい村」飯館村 原発事故で一変…

福島県飯舘村に代々伝わる伝統食「凍(し)み餅」作りに精を出す、佐々木千栄子(80)さん。
日下部正樹キャスター
「千栄子さんもう80?」
佐々木千栄子さん
「80だよ。4回目の成人式が来たって言うんだ、皆」

凍み餅は厳しい寒さで一晩凍らせ、乾燥させた保存食。自然と共に生きるこの村の、暮らしの知恵だ。

凍み餅に欠かせないのが地元で「ごんぼっぱ」と呼ばれる野草。かつては山のあちこちで採取できたが、今は違う。
佐々木千栄子さん
「今は放射能で採れないから畑で作ってるの。避難する前は、山から採ってた。今は山のもの使わないから」
(Q:そんなところにも影響出てるんですね?)
「いまだに影響出てるわよ」
村で郷土料理の店を切り盛りしてきた千栄子さんだが、2011年、原発事故で村からの避難を余儀なくされた。避難前には「またみんなで元気に集まれますように」と願っていた。
ようやくお店が再開できたのは、原発事故から8年が過ぎた2019年。

客
「なんでおれのお母ちゃんはこんな味出ないんだかな?」
だが、15年経った今、村で暮らす人数は1503人と、もとの4分の1に過ぎない。
佐々木千栄子さん
「わけわかんないうちに15年過ぎたね、いろいろありすぎて」

福島県の北東部に位置する飯舘村。「日本で最も美しい村」の一つに数えられ、農業と畜産で栄えてきた。原発からは40キロ近くも離れ、その経済的恩恵とは無縁の場所だった。
だが、原発事故で村は一変した。

当初、国の避難指示は20キロ圏内だけだったが、放射性物質は風に乗って飯舘村まで運ばれていた。
結局、全村避難の方針が出たのは事故後1か月が過ぎてからだった。
その間、IAEA=国際原子力機関は、村で避難基準の倍にあたる数値を観測したと日本政府に伝えていた。しかし、国の対応は後手に回り、村人たちは放射能汚染に晒され続けたのだ。

飯館村 菅野典雄村長(当時)
「本当に断腸の思いと言いますか、腹立たしい思い、これからなんとかしていかないと皆さんの生活や命を守れないなと」














