「メディアリテラシー」を身に付ければ解決するわけではない
こうした状況への対策として、メディアリテラシーの重要性がしばしば語られる。メディアの特性を理解し、情報の真偽を見分ける力を養うことはたしかに重要だ。しかし、リテラシーの強調には落とし穴もある。
まず、メディアリテラシーにおいて重視される「批判的思考」は、今日の情報環境においてはかえって逆効果となる場合があることが指摘されている(注4) 。メディアを疑い、「正しい」情報を得ようとしてネット検索を重ねると、その「疑い」を裏づけるような情報ばかりが提示され、結果として陰謀論的な考えに傾きやすくなるという。
さらに、リテラシーの強調は、フェイクニュースに騙されるのは個人のリテラシー不足ゆえであり、そのような情報を流す人々や、それを構造的に拡散しているプラットフォーム企業には責任がないかのような印象を与えかねないことにも注意が必要だ。
これは無知学の創始者ロバート・プロクターが批判してきた、問題を個人の責任へと転嫁する「個人化」の構図とも重なる(注5) 。たとえばアメリカのタバコ業界は、喫煙と肺がんの因果関係が否定できなくなると、がんの増加はタバコのせいではなく、喫煙者の「個人的選択」の結果だと主張してきたという。
石油業界もまた、気候変動を個人の意識や行動の問題へと還元しようとしてきたことが知られている。実は、さまざまな商品のCO2排出量を可視化することで「環境にやさしい」消費を呼びかける「カーボン・フットプリント」の概念を広く普及させたのは、大手石油会社であった。
気候訴訟の専門家であるベンジャミン・フランタは、これを「偽の解決策」の推進による業界の責任逃れだと指摘する(注6) 。もちろん個々人の意識や行動は大事だが、石油業界が石油を売り続けるかぎり、問題の根本は解決されないままなのだ。
メディアリテラシーも自衛の手段として重要であることは論を俟たない。しかしそれだけでは、今日のポストトゥルース状況を解決するには不十分である。そのためにはプラットフォーム企業の責任を明確化し、適切な規制を設けることが不可欠であると思われる。














