AI・SNSが私たちを操作し、現実世界を変えていく
そうした先にあるのは、ポストトゥルースと呼ばれる「真実以後」の世界である。
象徴的だったのが、2016年のアメリカ大統領選だ。「ローマ法王がトランプ氏を支持」などのフェイクニュースがSNS上で拡散され、選挙結果を左右したと言われる。しかもその一部は、広告収入を目当てに国外から流されたものであった。
さらにデータ分析会社によるSNSを利用したマイクロターゲティング(個々のユーザーにカスタマイズした広告)も行われていたという。SNSとフェイクニュースは、いまや選挙の主要なツールとなったのだ。
日本でも2024年以降、SNSが選挙の主戦場になったとされる(注2) 。SNS上で注目を集めることが、実際の得票につながるようになったのだ。それは同時に、注目を集めるために手段を選ばない候補者の方が、選挙戦で有利になることも意味していた。ここ数年、選挙のたびにデマやヘイト、誹謗中傷などがSNS上で吹き荒れたのは、そのことと無関係ではないだろう。
ポストトゥルースとは、客観的事実よりも感情や個人的信念によって世論が作られる状況だと言われ、フェイクに騙される「情弱」な個人の問題にされがちである。しかしそれは個々人の意識の問題である以上に、私たちの情報環境に起因する構造的な問題だ。
上述したようなAIの機能やSNSのアルゴリズムが、私たちの注意・関心を操作し、「世論」を作り上げる。そうして作られた「世論」が、選挙を通じて私たちの住む現実世界を変えていくのだ。
20世紀の全体主義の成立過程を研究した哲学者ハンナ・アーレントは、こうした社会の行く末を予言するかのような一節を記している。
「全体主義的統治の理想的な臣民は筋金入りのナチでも筋金入りの共産主義者でもなく、事実と虚構の区別(つまり経験の現実性)をも真と偽の区別(つまり思考の基準)をも、もはや見失ってしまった人々なのだ」(注3)
ナチ・ドイツやソ連のような「全体主義」が再び到来するのかはわからない。しかし、真偽の区別を見失うことは、民主主義を失い、自由を失うことと隣り合わせなのだということは、私たちが歴史から学ぶべき教訓であるだろう。














