私たちの「無知」「何かを<知らない>こと」は社会的、文化的に作り出されている。そこで大きな役割を果たしているのがAIとSNSだ。民主主義を危うくしかねない「無知」の状況は、なぜ、どのように作られているのか。この状況に抗して民主主義を守るにはどうすべきか。東北大学DEI推進センターの鶴田想人特任助教による論考。

情報過多の時代が招く怒りと分断

今日、私たちはかつてない量の情報に囲まれている。スマートフォン一つで世界中の出来事にアクセスでき、あらゆる知識が検索可能である——かに見える。しかし私たちが実際に目にする情報は、検索エンジンやSNS、そしてそれらの背後で作動するアルゴリズムやAIによって選別されている。

情報過多の時代に、私たちがそれでもある程度必要な情報にたどり着けるのは、この選別のおかげである。しかし今日、その弊害も目立ってきている。SNSはあらゆる人々に情報発信を可能にして情報を「民主化」したが、同時に怒りや分断を増幅させ、私たちを民主主義から遠いところに連れて行こうとしているようにも思える。

以下では、筆者の専門とする「無知学」の視点から今日の情報環境を考察する。無知学とは、私たちの「知らないこと」がいかに社会的・文化的に作り出され、維持されているのかを研究する学問分野である。

無知学はもともと、アメリカのタバコ業界や石油業界が、がんの増加や気候変動に対する責任を否定するために、科学的知見に疑義を投げかけ、因果関係をはぐらかすことで規制を逃れてきた手法を研究する中で生まれてきた。無知は、多くの場合、単なる知識の欠如ではなく、特定の利害と結びつきながら、意図的あるいは構造的に生み出されている。