亡くなった内田コーチの地元で結果を出した諏方
レース後に丸尾の顔を見て涙を流した諏方だったが、その後20km競歩前世界記録保持者の鈴木雄介さんからインタビューを受けている時も、涙がにじんだ。昨年12月に亡くなった、愛知製鋼コーチの内田隆幸氏(享年80歳)のことを問われた時だった。
「この3か月、その事実を受け容れられずに来ましたが、ここで優勝したことで、内田さんに対しても恩返しのようなことができたのかな。そう思うとすごく嬉しいです」
諏方は新潟・中越高を卒業後、地元の森林組合で働きながら競技を続けていた。2年目の元旦競歩20kmでは、その年(2020年)のオレゴン世界陸上で8位に入賞する住所にも先着して、2位という好成績を収めた。そこで内田コーチの目に留まり、愛知製鋼に入社することができた。
内田氏は鈴木さんやリオ五輪50km競歩銅メダルの荒井広宙、山西、丸尾ら世界レベルの選手を何人も育ててきた名伯楽だ。「練習の設定タイムなど、世界レベルを期待してくれているとわかりましたが、その期待に応えられない自分がすごく嫌な時期もありました」。内田氏の指導は、警告を取られない歩型を作ることを重視した。そのためにどういうトレーニングが必要かは、選手本人に任せていた。山西はイタリアの選手、丸尾はスウェーデンの選手と、外国勢と一緒にトレーニングを行うなど選手個々が工夫していた。
「内田さんの思い描くフォーム(歩型)を作れない自分に嫌気が差したこともありましたが、23年頃から良くなってきたと言っていただけるようになりました。内田さんは(その歩型で体を動かすための)技術は任せてくれるので、修正するのは自分です。そういった技術は先輩2人がスペシャリストなので、2人にうかがったりして、自分なりに修正してきました」
諏方の今回の優勝とアジア大会内定は、内田コーチたち愛知製鋼のスタッフと選手が、チームとして機能した結果だった。今大会が行われた石川県能美市は、内田氏の活動拠点でもあった。
「守り神のように後ろにいてくれた気がします。天国から内田さんが、追い風を吹かせてくれたのかもしれません」
内田氏の地元で結果を出した諏方が、次は愛知製鋼の地元で行われるアジア大会でも力を発揮する。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)

















