あれから15年 街を生かすために

高田第一中学校の避難所はこの年の8月に閉所した。その3か月後の11月、高橋さんの父の勇太郎さんが脳出血でこの世を去った。母のフサ子さんの行方は分からず、死亡届を出し、両親の葬儀をともに執り行った。

高橋さんの母・フサ子さん

昨年、高橋さんは祖父の代から続く桜木家具店の社長に就任した。大船渡市で大規模な山火事が発生し大きな被害が出た際には、被災した人々に家具を安価で提供し、支援に動いた。高橋さんは今も地元のために自らができる役割を果たし続けている。

避難所の運営で被災者の「自立」にこだわった高橋さんだが、街の復興においても、地元住民が自ら動き、発信することが大切だと考えている。

陸前高田のかさ上げ地 空き地が目立つ

「後世の人に同じ経験をさせたくない、その思いで震災遺構の保存を県の会議で訴え、委員の専門家の方にも『高橋さんの一言で迷いを断ち切ることが出来た』と考えを受け入れてもらいました。その後完成した高田松原津波復興祈念公園には旧道の駅などの遺構が保存されていて、1人1人が意見を出していくことで街が動くことを実感しました。この街をどうするかは最後はここで生きていく人が決めていかないと。ここに住む人が発信して街をつくっていかないと、街が生きてこないと思うんです」