いつまでも被災者ではいられない

5月1日。第一中学校の避難所は「絆の丘」という名称になり、避難所の自治会組織が発足した。避難者が使用できる1人あたりの広さに関するルールも決め、食事の後片付けや配膳なども班ごとに分担し、1日交代で行うことを決めた。

この日行われた「発足会」の最後に高橋さんは挨拶に立ち、避難者に向けて語りかけた。

<「私も家を失い、経営していた店を2つ失い、まだ母も行方不明。皆さんと同じ被災者ですが、少しずつ、なんとか一歩でも前に進もうとしています。私たちはいつまでも被災者ではいられないんです。私たちの自立が早ければ早いほど、陸前高田市は早く復興します。そのことを忘れずに、皆との絆を深めて、この避難所生活をしていきたいと思います」>(5月1日の記録)

この時の思いを高橋さんはこう振り返る。

「行政も大変だったので行政の負担を減らすためにも、自分たちが1日も早く自立できるようになることが最善なんだろうと考えていました。大変だろうけど、自立を目指して動くことで、前を向いて歩くことができると思うので」

5月29日、日々の緊張をほぐすため、第一中学校で避難者600人規模の大バーベキュー大会が実施された。あいにくの雨だったが、建設関係の避難者が重機で巨大なブルーシートを吊り上げ、テントを作った。岩手の老舗酒蔵「南部美人」が提供してくれた酒を飲み、最後は地元の音頭をみんなで踊った。

<雨対策で大テントの設営に大成功した。皆の知恵と努力で出来た仮設テント!!意地でも雨でも外でやりたいとの思いが通じた。(中略)皆楽しそうにBBQコンロをかこみ、飲んで食べてお互いを慰労しあっていた。まさに想像していた光景だった。>(5月29日の記録)

この日、高橋さんは周囲からも酒を勧められ、震災後初めて記憶をなくすほど酒を飲んだ。この時点でも、母の手がかりは掴めないままだった。