「我々でやります」避難者全員で行った区画整理
4月に入ると、高橋さんの視線は避難所の運営からさらに先、街の未来へと向けられ始める。震災から1か月もたたないうちに、高橋さんは同世代の仲間たちと将来の「街のグランドデザイン」を描き始めていた。
<新高田市のグランドデザインを考える。(中略)今は新しい街をつくるチャンス><今はこの街をどうするか、どういうビジョンをもって動くか、そこを自分は大切にしたい。>(4月8日、11日の記録)
「誰かが方向性というか、夢でもいいので、高田をこうしたいという明るい目指すものがあると違うんじゃないかと」。高橋さんたちが描いたのは、サークル状に住宅を配置し、中央に井戸や備蓄庫を置いて避難所としての機能も持たせた「新しい街」の姿だった。津波の予測システムの開発拠点の整備や防災を考える研究拠点として大学の誘致も盛り込んだ。
街の未来図を描く一方で、避難所の現実的な課題も山積していた。体育館には物資が増え、居住スペースに不公平が生じていた。早くからいる避難者が広い場所を取り、後から来た者が狭い隙間に追いやられる。2階の通路にいる避難者と、1階にいる避難者の間には、視線を巡る疑心暗鬼も起きていた。高橋さんが避難者からクレームを受けることもあった。
高橋さんたちは「区画整理」を提案した。体育館の荷物を一度すべて外に出し、ルールに基づいて場所を割り振り直す。高橋さんたちはこの作業を「被災者自身の力」でやり遂げることにこだわった。
「自衛隊やJC(青年会議所)の方にも『基本、我々でやります。重くて動かせない時だけ手伝ってほしい』と伝えました」
4月16日、引越し業の経験を持つ避難者が荷物の積み込みを指導し、約500人の避難者がJCが用意した20トントラックに荷物を移した。翌17日の朝から空になった体育館を全員で掃除し、新たな区画にダンボールを敷き詰め、トラックの荷物を新たな区画へ移動した。
「自衛隊の責任者が『指示がないからダメだ』と言って手を出そうとした隊員を止めるんです。ちゃんと理解してもらって本当に嬉しかったですね」
2日目の作業は予定時間を5時間ほどオーバーし、午後5時までかかった。すべての作業を終えた時、体育館に大きな拍手が湧き起こった。
「自衛隊がいるから手伝ってもらえば、と思うかもしれないんですけど、そうじゃなくて自分たちのことは自分たちでやろうと思ってもらえたんだなと思って、感動しました」

















