役割という「心の置きどころ」

翌3月12日の夜。避難所で校長や商工会の事務局長など、自然発生的に集まった有志による会議が開かれた。そこで、阪神・淡路大震災の支援経験を持つ青年会議所の高橋さんの先輩、戸羽幸輝さんの発言に拍手が起きた。

<「被災者の心を強くしていかなければならない」という一言だった。「何もしないと落ち込んでしまうだけ。何かきっかけを与えて、皆で取り組むという姿勢を見せなければダメだ」と発言した。皆から拍手が起こった>(3月12日の記録)

避難所運営の実質的リーダーだった高橋さん

支援を待つだけでは、気力が奪われていく。自分たちでボランティアを組織して、被災者の自立を促そうという方針が決まった。高橋さんはスローガンを提案した。

<スローガンは分かり易く簡単なものがいいと思い、一人は皆の為に、皆は一人のために支えあってい(生)きましょう!!を提案した。この提案に皆ものっていただき、翌日からこのスローガンを書いた紙を貼り出した。本部スタッフで自主的に掃除を朝することにした。まず我々が動いて皆を、皆の心を動かそうと…>(3月12日の記録)

避難所の運営会議 黄色い服の男性が高橋さん

高橋さんと同じように家族の安否が分からない人も多かったが、飲食店経験者が毎日の炊き出しを仕切り、栄養士が献立を考えるなど、地元の人が物資班・食事班・医療班などに分かれて自主的に避難所運営にあたった。毎朝の掃除も、トイレ清掃も、避難者全員がグループに分かれて行った。

「みんな大変な思いをしている中で、お互いがそれぞれ役割を持って支え合って運営していくことで『心の置きどころ』ができたんだと思います。私もそうでした」

震災から3日目の第一中学校避難所

そんな中、3月13日、高橋さんは父と無事再会を果たす。しかし、母の安否は分からないまま。高橋さんは避難所運営の合間を縫って遺体安置所を回り、母を捜し続けたが、一向に手がかりは掴めない。

高橋さんをさらに悩ませたのは、親戚や会社からの風当たりだった。親戚から「ボランティアなんかしていないで、お母さんを探せ」と言われたこともあった。2つの店を流され危機的な状況に陥っていた会社も、避難所でボランティア活動に打ち込む高橋さんに十分な理解を示してくれなかった。

<おじさんに今やっていることはおかしいんじゃないか?と再三言われる。家族を探すのが大事と!!(中略)いま、できることをする!!自分にしかできないことを!!今する!!>(3月25日の記録)

<今のボランティア活動、仕事、母親探し。平行して出来ない状態!社長からもきょうTELがくる。どう考えているんだと(中略)お客様を捨てることは出来ない!!地域復興に向けての活動を捨てることはできない!!従業員のことも考えなければならない!!母親と会わなければならない!!>(3月25日の記録)

いくつもの重圧の中で、高橋さんは日記のページに自らを奮い立たせる言葉を書き連ねている。

<今の自分の状況
・経営を立て直さなければならない
・母を探さなければならない
・JC(青年会議所)として支援してくれる仲間の協力を受けなければならない
・個人としての動きではなく、大勢の人たちのために動きたい、役立ちたい
・皆が困っている時に個人の利(益)だけは求められない。同じ境遇の人は沢山いる
・同級生の帰るまちをつくらなければならない
・亡くなった友、JCメンバーのためにもこの地域をなんとかしたい
自分にしかできない!!今の状態だと…>
(3月25日の記録)

<俺は会社の再建と社会の再建の両方をやるしかない!俺ならできる!!絶対できる!!だから母が11日の日にここの一中に呼び戻したんだろう!!ここからやるしかない!!>(3月25日の記録)