会社は謙二さんに工場の一室を提供
就職してからも、趣味は変わらず鉄道グッズを集めていた謙二さん。28歳のとき、初めてNゲージを製作しました。
しかし、寮の部屋はすぐに手狭となり、ほかの社員に鉄道グッズを譲っていました。その様子を見かねた社長らは、新たに工場の一室をNゲージの専用部屋に。謙二さんの世界は、大きく広がっていきました(【画像】は岡山ならでは...行き交う227系「Urara」と今でも現役の213系旧マリンライナー)。

(ニットー工業 日名俊彰専務)
「彼の頭の中でやっていることだと思うんですけど、設計図がないので、彼がどういう思いでここに人を立てているとか、全員の物語があると思うんですよね。その人の物語があってここに付けているんだと、そういうのを考えると面白いですね」
仕事をする喜びや幸せを大切にしながら、社会に貢献していく。自問自答しながら会社を経営してきたといいます。
(ニットー工業 日名堅代表取締役)
「製造業ですから、いいものを作って売るというのが基本です。あの子らでものを作るのが、これだけいいものができるっていうのが確信できた」
「それを販売先の社長なり、所長なり、いろんな人がニットーさんの製品ってミスもないし、こんな梱包もいいし、こんないいものだったら販売をしようか、というところから始まった」














