永瀬さんのふるさとで育まれる「詩のこころ」

永瀬さんの生家の軒下

講演を終えた小池さんに、永瀬さんのふるさと(現在の赤磐市松木 旧熊山町)の印象など、筆者(RSK山陽放送 小林章子)がうかがいました。

──永瀬さんのふるさとの印象はいかがでしたでしょうか。

(小池昌代さん)
「私ね、感動しましたよ。熊山駅からずっと20分ぐらいかけて歩いてきて、遠くに山々が見えて。春の山ってああいうふうに、わーっと見えるんですね。

鳥が飛んで、そして畑が続いていて、キャベツや白菜。それから熊山橋っていうんですか、長ーい橋。その途中に永瀬さんの石碑もありましたね」

──永瀬さんの詩にも登場する熊山橋ですね。

(小池昌代さん)
「あ、ここが熊山橋かと思って。やっぱり渡るとね、やっぱり詩の世界ってこう、何かと何かの間にかかる虹とか橋みたいなところがあるので、あ、いよいよここに来たんだなーって感じがして、とっても感動しました」

──永瀬さんが生まれて120年、亡くなってから30年以上が過ぎたんですけれど、今なお永瀬さんのファンが多くいらっしゃいます。きょうの会では、素晴らしい詩を書いた子どもたちの表彰もありました。

(小池昌代さん)
「ね。『永瀬清子の詩の世界』という朗読会は、毎年やってらっしゃるんですが、その熱意もね、持続的な熱意も素晴らしいと思うので、そのことが皆様の気持ちを前に前に押し、ここまで押してきたんだと思うんですけれども。

子どもたちもすごかったですね。かわいい子どもたちがいっぱい今日登場して」

「私は永瀬さんは、途中東京にいらしたり、いろいろ移られたけれども、やっぱり最後は熊山の地に戻られて。で、ここがそういう詩のふるさとのようにして皆さんが永瀬清子を読んでいて、それで自分でも詩を書いてみようっていう空気が育ってるっていうことに、希望を感じました。素晴らしいなと思いました」

──長いときを越えて、今なお、永瀬さんの詩がみんなの心に届いているということですね。

(小池昌代さん)
「永瀬さんの詩は、考える思想的な部分もあり、同時に、自分の感情、情感。それを、詩のリズムや音韻で表す。まさに、詩の才能みたいなものになっている。

その2つがドッキングして独特の、対流を持った詩の世界。ほかにないですね、こういう形の詩っていうのは。

そこに私はやっぱり引き込まれるんですよ。読んで活字でもおもしろいですし、自分で読んでみるとね、その言葉の響きに気づいておもしろいし。そして内容があるんですね、意味がある」

「この3つが揃ってる人ってちょっといないんじゃないでしょうか。それで、ご自身がやっぱり自分の苦しみの中から詩を書いてきたところもありますよね。ほんとに生涯をかけて自分で一生懸命生きてきた、その1つ1つが詩になってるところもあるので。全人格的な詩だなと思った。その人と詩がぴったり一致してるっていうかね。うん。大きい人です」