時を経てもなお心に届くのは、なぜ?

──永瀬さんが生きた時代と今は、その時代の空気感だったり、人の価値観も大きく変わってきていると思います。だけど、私たちの心が、永瀬さんと同じように動くのは不思議です。

(小池昌代さん)
「 ね。それはね、私もさっき自分で話しながら気づいたんですよ。本当にこの詩、一点一点がね、読むとその瞬間に生きるもの、生き始めるっていうか、生命力を持つっていうか。

言葉がね、渦なんですよ、渦が起こるんですね。『梳(くしけず)り』という詩なんですけども、言葉がね、『私があまりにもつれみだれていますために』とか、『あなたは私を梳りにいらしたのですか』とか。

もうね、呪文のように取り付いてる。流れる。流れの中に巻き込まれる。そういう流れっていうのは、もう、永遠の秘密のものでね、読むたんびによみがえってくんですね、そのリズムとともに、生命力が。

だからこれ、永遠のものじゃないですか。永瀬さんの詩っていうのは、そのリズムによって。もう」

「年を取っていくことが、1人の女として全然怖くないですね。永瀬さんみたいな人がいたんだっていう、その永瀬さんが言ってくれたっていうことだけがね、もうそのこと自体がすごい力になるんです。

パワー。うん。あ、こういう人がいたんだ、こういう詩人がいて、こういう詩を書いたんだって言ってね。それで生きたんだ、生きて死んだんだっていうことがね、私たちを力づけますね、この詩は本当に」

──永瀬さんは、生涯現役で創作された方ですね。ですから、自分の年齢より上の時代に書かれた作品は、なんとなくこの先の見通しとして、こんな心持ちになるのかなとイメージして読みました。自分がその年に到達すると、またちょっと違って感じることもありました。

(小池昌代さん)
「自分の年齢がね、それに沿うんですよね。永瀬さんは最後までみずみずしく、どんなに年を取ってもその中心にあるみずみずしさっていうのはなくならなかったんですよ。

永瀬さんは、『私が、私が』というのを批判的に言われた時代もあったみたいですけれども、結局この『私』っていうのが永瀬さんをここまでね、引っ張ってきて生かしたんでしょうね」

──永瀬さんの言葉は、まだまだ次の世代の人たちにも届いていくのでしょうね。

(小池昌代さん)
「そう。その人たちがまた自分の言葉でね、新しく語ってくれると思います」