「鋭敏でない」議院内閣制 首相公選も取り沙汰され
なぜ、戦前の「政党政治」は終わりを迎えたのでしょうか。

慶応大学(日本政治外交史)清水唯一朗 教授
「『憲政の常道』といって、政権が失敗したら第2党がその次に政権に就くという形をとっていた。選挙によって選ばれる政権ではないので、(政党は)お互い足の引っ張り合いを続ける。そうすると国民だけでなく、天皇を中心として政治家の側でも政党に対する信頼がなくなっていく」
「なので全ての政党を解散してでも、議会と政府の関係を良く保つために、大政翼賛会という仕組みを作るということになった」
そして終戦を迎えた日本。1947年、日本国憲法が施行され、戦前の憲法にはなかった「議院内閣制」が取り入れられたのです。
1955年には自民党が結党し、以降、自民党と社会党の55年体制が続く中「議院内閣制」のもと、国会で多数を占める自民党の総裁が総理を務め続けます。
ところが、1980年代中盤、当時の中曽根総理は...

中曽根康弘 総理大臣(当時)
「議院内閣制と言われた政治の場合は、ややもすれば国民のフラストレーションや何かを先手を打っていくということに、割合それほど鋭敏でなかった」
「それが私がいわゆる大統領制型の政治、つまり首相公選型の議員内閣制ということを考えた」
強力な官僚組織を前に、総理が独自の政策を実現できないいらだちなどから、国民が直接投票で総理大臣を選ぶ「首相公選制」を唱えます。
その背景を清水教授は...

慶応大学(日本政治外交史)清水唯一朗 教授
「首相が政策を変えたいというものに対して、『変えないで維持したい』というのが官僚にも議員にもいる。かつて族議員という言われ方もした」
「そこから独立させた形で政策を変えていきたいと思う首相がいれば、それは当然、議院内閣制の首相よりも、大統領制の形をとりたいという風に考える」
2000年代にも、当時の小泉総理が首相公選制を唱え、導入を検討する懇談会を設置しました。
しかし今の「議院内閣制」では、総理大臣はあくまで国会の信任のもとで成り立っています。

















