数寄者「畠山即翁」美への探求心
産業界で頂点を極めた一清は、一方で日本の伝統文化、特に茶の湯の世界に深く傾倒し、「即翁(そくおう)」という号を持つ近代屈指の数寄者としてもその名を知られています。
※数寄者(すきしゃ・すきもの)・・・芸道をこよなく愛する人
三井物産の大物、益田孝(鈍翁)の導きにより茶の湯の道に入った畠山一清は、技術者ならではの探求心と審美眼で、美術品の蒐集に乗り出しました。
彼の蒐集は単なる趣味の域を超え、日本の美の精髄を後世に伝えようとする強い使命感に裏打ちされていました。
現在、荏原 畠山美術館が所有する美術品は、国宝6点、重要文化財33点にのぼります。
そのコレクションの中でも代表的なものの1つが国宝「離洛帖」。平安時代・書の達人・三蹟として歴史の教科書にも登場する藤原佐理の書状です。
書き出しが「謹言、離洛之後……(都を離れてから……)」で始まることに由来します。
佐理が大宰府の役人に任命されて現地へ向かう際、時の権力者であった摂政・藤原道隆に挨拶をせずに都を出発。その途中で失態に気づき、大慌てで甥の藤原誠信(道隆の従兄弟)に宛てて、「どうか道隆様にうまく取りなしてほしい」と懇願した手紙、つまり、おわび状です。
自由奔放でダイナミックな草書体で残されたこの書状は、後世の書家にも大きな影響を与えたと言われます。














