フリーアナウンサーの富永美樹さんが1月19日、自身のインスタグラムを更新し、実父が年明けに死去したことを報告しました。
富永さんは投稿で「年が明けて少しした頃 父がこの世を去りました まずは 生前 父がお世話になった皆さまへ 心より 感謝申し上げます」と綴っています。
投稿によると、父は昨年8月半ばに緊急入院。「間質性肺炎」と「心筋梗塞」との診断を受け、医師から「救命は難しい」と告げられながらも、約5か月間にわたる闘病を続けていたといいます。
人工呼吸器を装着するため喉を切開し、一時は声を出せない状態となりましたが、容態が上向いた際には、声を出せる管に変えてもらい、思い出の歌「もしもピアノが弾けたなら」を歌うなど、「『絶対に生きることをあきらめない』言葉にはできなくても 父の戦う姿からは その思いが伝わってきました」と、綴っています。
富永さんは、父が亡くなる直前の複雑な心境についても詳しく明かしています。
「年末年始の休みに入ると 『もしかしたら今日が最後なのかもしれない』と思いながら 毎日父のところに通いました」「とにかく後悔したくなかった」「体力と心のギリギリまで父を見舞い 私は心が不安定になり始め 改めて80歳の母の強さも思い知らされ そんな頃に 経営する会社の仕事で山梨に戻った翌日に 『父の心臓が止まった』と連絡があり」、再び東京へと車を走らせた際、「『もう間に合わない』とわかっていました。でも、きっとこうなるとわかっていたから昨日まで毎日見舞ったのだから……そんな思いでもいました。間に合いたくなかったのかもしれません」と吐露。
3年前に夫の父を見送った際、心臓の鼓動が失われていく様子を目の当たりにした経験から、「きっと父のそんな姿を見るのは耐えられない…と感じていました。気持ちの弱い娘のことを父はわかってくれていたのかもしれません」と、父の最期の配慮に想いを馳せました。
また、父が入院した時期と亡くなった時期が、自身の生活サイクルと重なっていたことにも触れ、「お盆休みに入院し、お正月の休みが終わる頃旅立っていきました。どちらも2拠点居住 2拠点ワークをする娘が一番近くにいられる頃に…やっぱり娘にはたくさんお見舞いに来てほしかったのかな? ね、お父さん?」と、天国の父へ優しく問いかけました。
投稿には、1998年の自身の結婚式で父と腕を組んだ写真を添え、「私が子供の頃、父は『いつか美樹の結婚式で腕を組んで歩くのがパパの夢』と言っていました」と回想。「55年間、お父さんの娘でいられて幸せでした」「父のことを誇りに思い、強く強く生きていくね」と、亡き父への深い愛と決意を綴っています。
【担当:芸能情報ステーション】














