「社会復帰したいけど過去の罪が邪魔を…と」生活の相談を受けたAさん

 交友関係がほぼない中、谷本容疑者とわずかなつながりを持っていた女性のAさんに会うことができました。

 (Aさん)
 「すごく礼儀正しくて、全然嫌な印象はまったくなくて。ハキハキお話しされて、敬語を使ってくださいましたし、時折笑ったりとかコミュニケーションうまくとられる方だなと思いました」

 谷本容疑者に会ったのは、事件4年前のある日。こんな話をしたそうです。

 (Aさん)
 「今は反省して社会復帰したいんだけれども、仕事をする意欲はあるんだけれども、自分の過去の罪が邪魔をしてなかなかうまくいかないということと、実際に面接までいっても自分の前科のことをインターネットで調べられてしまって、それでだめになってしまうことが続いたということをおっしゃっていました」

 実はこの時期(2017年ごろ)、谷本容疑者は持ち家を出て、大阪市浪速区で約半年間暮らしていたといいます。それが1泊1300円の簡易宿舎、いわゆる「ドヤ」でした。谷本容疑者は2017年2月ごろ、生活保護の制度に詳しいAさんに申請の相談をしたというのです。

 (Aさん)
 「所持金は5万円以下、全財産は5万円以下ということであれば、当然、最低限生活を送れないのは明白で、『浪速区で(生活保護を)申請すればいい』と私はアドバイスしました。すごく素直な感じで『じゃあそうします』と。私の言うとおりにやりたいですと言っていたんです」

 しかし、最終的に生活保護の受給には至りませんでした。受給資格がなかったのか自ら手続きを辞めていたのかはわかりません。

 (Aさん)
 「あのとき、1回目の浪速区でちゃんと(生活保護の)申請ができていたら、彼は立ち直れたんじゃないかなと私は今でもすごく思っているんですね。賃貸住宅で人間らしい生活を送れたと思うんですよ。そうしたらあそこまで追い詰められなかったんじゃないかなって」

「SOSを求めていた人が絶望して事件を起こしてしまった。社会にとっても彼1人の問題ではない」

 4年がたち、谷本容疑者は相当困窮していたことがうかがえます。銀行口座から最後に引き出したのは83円。残高はゼロでした。携帯電話には「死ぬ時くらい注目されたい」などの検索履歴が残されていました。

 今年11月、Aさんは事件現場を初めて訪れました。

 (Aさん)
 「距離があまりにも近いので、私が相談を受けた場所が。すごく思うところがありますね。本当に近いので。私のところに来たときには生活保護を受けて立ち直ろうと思ってきたのに、わずか3年4年のことなのに」

 この現場近くで谷本容疑者から前向きな相談を受けていたのはわずか4年前。過ちを犯した人を受け入れられる社会であれば事件は起きなかったのではないかとAさんは感じています。

 (Aさん)
 「SOSを求めていた人が絶望して事件を起こしてしまったというのは、社会にとっても彼1人の問題ではないんだろうなという気がします」