
“日本人として幸せになれない”と米兵家庭に養子縁組も
米兵の家庭との養子縁組をあっせんする動きも活発になった。
沖縄にいても日本人として扱われず、幸せにはなれない米国人として、米兵の子どもとして生きるほうが幸せだろう―
そうした考えから、泣く泣く子を手放す母親たちがいた。
混血児のみを世話する孤児院として出発し、子に恵まれない米兵の家庭などへの養子縁組をあっせんしたり、消えた米兵の夫探し、暴力を振るわれた女性を法的に支援したりした団体、「国際福祉相談所」が1998年までの40年間に扱ったケースは、約1万5000件にものぼった。
▼国際福祉沖縄事務所・瀧岡直美さん(1980年のインタビュー)
「(黒人系の子は)髪も縮れてますし、顔の色も黒いですしね、一生懸命髪の毛を伸ばそうとする努力をしたり、あるいは軽石でお風呂に入るたびにゴシゴシ、本当に血が出るほど。白くする、と一生懸命の子もいますしね」
「白人系の子は赤毛で、祖父母にわかめをたくさん食べれば髪が黒くなると言われ、毎食わかめを出してもらって食べているという話も…」














