「反対する人たちはね、ハンセン病の子どもというだけで毛嫌い」

晴海さんは、当時のことを知る女性を訪ねた。龍田寮の寮母だった森美代子さんだ。

(奥 晴海さん)
「ごぶさたしています」

(森 美代子さん)
「元気だった?」

森さんは龍田寮の子供たちを必死の思いで守ってきた。

(森美代子さん(2018年取材 当時85歳)
「反対する人たちはね、やっぱり、ハンセン病の子どもというだけで毛嫌いですよね。嫌悪感があるでしょうからね」

通学が拒否された3年後の昭和32年、龍田寮は廃止に追い込まれた。当時38人いた子供たちは親戚や養護施設へと引き取られていったが、その後の苦労を想像すると、森さんは胸が締め付けられる。

(森 美代子さん)
「子供たちがみんなそれぞれもらわれていくでしょう。辛かったですよ。引き取り手がないから龍田寮に入っている、お母さん、お父さんが療養所に入ったから。誰も面倒を見る人がいないから来てるのにね。今でも思い出します」

晴海さんも、龍田寮を後にした。その後待っていたのは遠く離れた島での厳しい生活だった。