②「紫電改の元パイロットの証言」
「紫電改」は、太平洋戦争末期、旧日本海軍が当時の技術の粋を集めて開発、実戦配備された最後の戦闘機です。

引き揚げられた機体は、1945年7月に豊後水道上空でアメリカ軍と交戦し、帰還しなかった6機のうちの1機とみられることが分かりましたが、機体の中から遺骨は見つかりませんでした。

(遺族)
「これだけでも見て帰ったら満足です」

紫電改が配備された「343航空隊」は、本土防衛のために編成され、全国から優秀なパイロットが集められました。
松山基地などを拠点に米軍機を迎え撃つ任務にあたり、パイロットの6割以上が命を落としました。

紫電改の元パイロットで、
4年前に亡くなった故笠井智一さんは2016年、次のように証言していました。
(紫電改の元パイロット・故笠井智一さん)
「空中戦する時もあっちで火を吐いて落ちている。こっちで落ちている。誰が落とされたか全然わからん」
「基地に帰って、ご飯を食べる時に椅子が多く余っとるな。未帰還やな。それで、大体何人ぐらい戦死しているのがわかる」
③「一筋縄でいかなった引き揚げ、県と国のやりとりとは?」
現在、愛南町にある愛媛県の展示施設に保存され、戦争の記憶を生々しく伝えている紫電改の機体。
この引き揚げが一筋縄ではいかなかったことを示す公文書が、愛媛県庁で見つかりました。

















