長い芸人人生で感じる感謝の気持ち 被災地・能登の訪問への思い

アメマバッチの騒動で抱いた周囲への感謝の気持ちですが、1995年の阪神・淡路大震災での経験もまた、寛平さんの人生観を変えた出来事でした。

間寛平さん「自分も家も全部潰れて、ほんまによう生きてたなぁいうことがあったんですけど、アースマラソンを終えた直後の2011年3月11日に東日本大震災があって。これは、自分もそういう目に遭ったから、どんなつらい思いをしてるんだろうと。勇気づけるために、岩手県の山田町に一番最初に行って」

寛平さんは東北各地のほか、熊本地震でも被災地を訪問してきましたが、能登へは道路といった被害状況などコンディションをみながら訪問したい強い思いを持っています。

芸人としては大ベテラン、大御所の域にきている間寛平さん。新喜劇の舞台を含め感謝と恩返しの活動はまだまだ続きます。

【全3回掲載 間寛平さんインタビュー】

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