「人と関わる仕事がしたい」圭司さんの新たな希望は潰えた
1999年2月、圭司さんは扁桃腺の手術を受け、体調が回復すると、
「お母さん、僕は人と関わることが大好きだから、人と関わる仕事がしたい」
「人と関わる仕事って、どんな仕事があるんだろう?それに必要な資格ってどんな資格があるんだろう?」
と話すようになりました。
また、
「兄貴っていいよな。楽しい高校生活を送っていたよな。僕ももう1回ああいう高校生活を送りたいな」
と、圭司さんは希望を言うようになりました。
休学をしていた高校の教師と話し合い、岡山市内に新設される、中高一貫で不登校の子も受け入れるという後楽館高校への転校を決意。
「やっと圭司の中で、夢や希望、未来が少し見え始めていました」
と、市原さんは振り返ります。
しかし、1999年3月17日の夜、悲劇が起こります。














