「遺棄」該当性――2023年最高裁判例の解釈

判決を言い渡した福岡高裁

弁護側の論旨
弁護人は、グエット被告の行為は刑法190条の「遺棄」に該当しないと主張した。

その根拠として、最高裁2023年3月24日判決(以下「2023年判例」)を引用し、次のように論じた。

死体の隠匿行為を刑法190条の「遺棄」と評価すべきか否かは、行為者が埋葬義務者か否かで分けて検討すべきである。

埋葬義務者であるグエット被告の行為を問題にする場合は、グエット被告が男児に関する葬祭を確定的に放棄した事実を認定できなければ、適時適切な埋葬等と相いれない処置といえず、同条の「遺棄」に当たらないと解すべきである。

グエット被告は、一時的に本件男児の死体をごみ箱の中に置いたのであり、終局的な処分ではなく、中間的な処置にすぎず、男児に関する葬祭を確定的に放棄していない、というものである。

弁護側はごみ箱という言葉の持つ語感や印象をもって判断するのは相当でないとも主張した。

さらに、グエット被告の行為が刑法190条の「遺棄」に当たるか否かを判断する上で、当時被告人が置かれた状況(出産に伴う大量の出血により重い貧血状態にあったこと)を考慮すべきであるとも述べた。

福岡高裁の判断
福岡高裁は、グエット被告の行為が刑法190条の「遺棄」に該当するとした原判決の判断は相当であり、是認することができると判断した。

福岡高裁は、「2023年判例」の解釈について次のように指摘した。

「『2023年判例』は、他者が死体を発見することが困難な状況を作出する隠匿行為が刑法190条の『遺棄』に当たるか否かを判断するに当たっては、それが葬祭の準備又はその一過程として行われたものか否かという観点から検討しただけでは足りず、その態様自体が習俗上の埋葬等と相いれない処置といえるものか否かという観点から検討する必要があると判示したにすぎず、埋葬義務者が行為者である場合には、同人が葬祭を確定的に放棄した事実を認定できなければ、同条の『遺棄』に該当しないとは判示しておらず、そのように解釈することもできない」

その上で、福岡高裁は次のように述べた。

「仮に、埋葬義務者が、終局的な葬祭に向けた一時的又は中間的な処置の意図であったと述べたとしても、死体を粗略に扱うなど、それ自体が、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を害し、習俗上の埋葬等とは認められない態様で死体を隠匿する行為に当たることは十分にあり得、その場合には死体遺棄罪が成立すると解される」

ごみ箱という言葉の語感や印象による判断という点については、「原判決が、ごみ箱という言葉の持つ語感や印象によって判断していないことは明らかである」とした上で、次のように述べた。

「本件行為が刑法190条の『遺棄』に当たるか否か、すなわち、その態様が、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を害し、習俗上の埋葬等と相いれない処置といえるか否かを判断する上で、本件男児の死体を隠匿した場所が交際相手の家のごみ箱内であること、ごみ箱内に他の生ごみ等と一緒にするという態様であったことは明らかに重要な事情であり、この点を考慮に容れて判断した原判決は相当である」

被告人が置かれた状況についても
「グエット被告が出産に伴う大量の出血により重い貧血状態にあったことなどを考慮したとしても、グエット被告はそれが原因で男児の死体をその場に放置してしまったというものではない、主体的、能動的な行動といえる行為を行っていることに照らしても、本件行為が『2023年判例』の定義する『遺棄』に該当するとの判断は揺らがない」
と指摘した。