もう一度 日系人による“ベースボール”を しかし…
そんな中、人々の心の拠り所だったのが、「ベースボール」。野球でした。マンザナーだけで100以上のチームが作られ、頻繁に試合をしていた記録が残っています。
(ダン・クワンさん)
「強制収容所で人々は『おまえは本当のアメリカ人じゃない』『アメリカ人の顔ではないからだ』と言われてきたんです」
荒れ地にベースを埋め込んでいたのは、アーティストのダン・クワンさん70歳。

母親のモモさんが戦時中マンザナーに収容されていました。戦後80年の今年、もう一度ここで、日系人によるベースボールを。そのために、グラウンドを再建したのです。
(レーガン大統領・当時 1988年8月)
「日系アメリカ人の強制収容は過ちだったと認識しなければなりません」

戦後40年余り経って、アメリカ政府は正式に当時の強制収用を間違いだったと認め、謝罪と補償を行いましたが、ダンさんは複雑な思いを抱いています。
(ダンさん)
「補償の金はどうでもいい。『自分たちが間違っていた』という政府の謝罪こそ大事なんだ」
2年の歳月をかけて野球場は再建。盛大に野球大会を行う予定でしたが…














