今年は戦後80年です。太平洋戦争で特攻作戦を拒否したとされる、旧日本海軍「芙蓉部隊」の戦没者慰霊祭が11日、鹿児島県の曽於市でありました。

雨のため曽於市の大隅農産加工センターで行われた慰霊祭には、遺族や関係者などおよそ100人が参列しました。
終戦の年・1945年に編成された芙蓉部隊は、終戦までの3か月間、曽於市の岩川飛行場から沖縄方面に出撃しました。

当時29歳だった指揮官の美濃部正少佐は、特攻に異議を唱えたとされ、合理的な戦術として夜間攻撃作戦を実行しました。
11日の慰霊祭では、当時18歳で戦死した三重県出身の松木千年隊員のおいにあたる渡辺広晴さんが追悼の言葉を述べました。

(芙蓉部隊・松木千年隊員の遺族 渡辺広晴さん)「父親である私の祖父が、伯父さんの髪が伸びてもいない丸坊主の頭をバリカンで刈ったそうですね。母と妹が見守る中で、わずかな遺髪を遺すための最後の親子の時間であったと聞いています」
式には美濃部少佐の長女・中野桂子さんも、美濃部さんの遺影とともに参列していました。
(美濃部少佐の長女 中野桂子さん)「(父は)思い切って上層部に特攻に対して反対したり、そういうことがよくできたと思う。日本は平和だけど、世界のあちこちで戦争が起きているから、二度と悲惨な戦争は起きてほしくないと願っていると思う」

参列者は戦後80年の節目の慰霊祭で、平和への思いを新たにしていました。














