兄の影響から始まった野球人生
菊田投手は、自らの意志で野球人生を始めたわけではなかった。

「自分からやりたいっていうわけじゃなくて兄の影響なんです。女の子の選手が上にいたんですけど1人だけになっちゃってて、親から『ついてくるぐらいなら一緒に入って、その子と一緒にやってあげたらいいんじゃない?』っていう理由で入ったんです」
そんな菊田投手だが、いつしか自ら野球を続けたいと思うようになっていた。「多分、途中でやめるって言うことが嫌だったのかなと思います」と当時を振り返る。
中学時代は軟式野球の強豪「宮城デイジーズ」に入団した。

硬式の世界へ足を踏み入れたのは高校からだった。
「若干大きく感じたのかな?今あまり覚えてないんですけど、大きく感じてたイメージがあって」と硬式ボールとの出会いを語る。「軟式も良かったんですけど、やっぱり軟式より跳ねないので、ボールが。硬式の方が良かったのかなとかちょっと思ってました」
同じ左腕として - 金刃憲人コーチの導き
技術的な指導を行うのは、金刃憲人(かねと のりひと)コーチだ。
同じサウスポー同士、悩みや迷いを払拭してくれる心強い存在となっている。

「打者の見え方が一緒なんで、ロケーションって言うんですかね?右と左また違うんですけども、そこの共通の話はできますよね」と金刃憲人コーチは説明する。
「特に右バッターインコース投げるクロスのボール。そこを投げ切るためにに体のどの部分を回せば腕が前に出て、角度のあるボール投げられるかっていうところの話も、同じ左なので理解も早いと思うんで」
コーチは菊田投手の二面性についても語る。
「こうやってなんかフニャフニャしてるじゃないですか。フニャフニャしてるけど、マウンド上がったら目付き変わるんですよね」
チームメイトの信頼も厚い。
「普段はちょっとニコニコしてる感じなんですけど、マウンド上がったら、やる時はちゃんとやるみたいな感じで強いボール投げてくれてます」

「エースとしていなくてはいけない存在だと思うし、ピンチの場面とかで(菊田)波音がいつも粘って勝ってくれるので頼れるエースだと思ってます」

「ビシャッと抑えてくれて、それでチームがどんどん流れに乗っていって、点数に繋がるっていうのが多かったです」

流れを変えるピッチャーに
自身の理想の投手像についてこう語る。
「一番は、どんな場面であっても途中から誰かが投げてた先やピンチができた場面や、チームが負けている場面みたいな時に、自分が流れを変えられるようなピッチャーになりたいなとは思ってます」
チームメイトから全幅の信頼を置かれるエースとなった菊田投手は、2024年のユース大会決勝では、守り勝つ野球を実践しながら西の絶対王者・神戸広陵学園を相手に1対0の完封勝利を収めた。

一見、挫折とは無縁の野球人生と思われるかもしれないが、自身は「成長してない試合ならいっぱいあります。挫折だけして成長してない試合ならいっぱいあります」と振り返る。
「その中の1つが履正社に投げて、フォアボールばっかりで、エラーもしてもうなんか自分がチームの流れを崩してしまって、自分はもう投げちゃダメなんだって思っていた時期ありました」















