81年前の太平洋戦争中、アメリカ軍の攻撃を受け沈没した学童疎開船「対馬丸」の慰霊祭が、宇検村でありました。
学童疎開船「対馬丸」は1944年8月22日、沖縄・那覇港を出港し、長崎へ向かう途中、十島村の悪石島沖でアメリカ軍の攻撃を受け沈没しました。
乗っていた1788人のうち8割以上の1484人が死亡し、そのうちの784人が疎開のため乗船した子どもでした。
沈没後、宇検村の船越海岸に多くの遺体が流れ着いたことから慰霊碑が建てられ、毎年、慰霊祭が行われています。
8日の慰霊祭は、記憶を風化させないため、国からの補助があり、沖縄からもおよそ50人が出席しました。
慰霊祭では、沖縄で2012年結成された「つしま丸児童合唱団」の歌などが奉納され、犠牲者を弔いました。
数少ない生存者の1人で、対馬丸記念会代表理事の高良政勝さん(85)も慰霊祭に参加しました。
(対馬丸記念会 高良政勝・代表理事)「ご遺体、生存者が並んでいたと思うと、何とも言えない」
(宇検村 元山公知村長)「奄美大島全体として平和学習を続けたり、沖縄との交流を広げていきたい」
およそ100人の参列者は花を手向けて犠牲者の霊を慰めていました。














