特集は笑いのチカラを復興への光にする取り組みです。

能登半島地震から2年が経とうとしている今、被災地に笑顔を届けながら震災の記憶を伝え続ける石川県七尾市出身の俳優を取材しました。



11月3日、能登演劇堂の舞台に立った七尾市中島町出身の俳優・勢登健雄さん。

七尾市中島町出身・勢登健雄さん



18歳で上京し、お笑いコンビ「ツィンテル」としてデビュー、2015年のコンビ解散後は、テレビや映画などで俳優として活躍し、MROテレビの絶好調Wでも2年間MCを務めました。

現在は東京を拠点に活動する勢登さん。
実家には、今も地震の爪痕が残っています。

正月の帰省中に被災した勢登さんは、妻と4歳の娘を連れて近くの小学校に避難しました。

「支援物資を配給ですと分けて下さってそれを貰ってっていうのを1日目・2日目とかも呆然としながら過ごしていた。たまたま居合わせた人達が寄せ集まって知恵を絞ってこうしたらいいかな。平等に配るにはどうしたらいいかなと色々考えながら運営をしていて。すごい大変な状況ですけど捨てたもんじゃないなっていう。希望もちゃんとあるな。忘れたくない記憶」

勢登さんが避難所で耳にしたのは、「笑いが欲しい」という声でした。

発災から4か月後、当時能登でボランティア活動をしていた無名塾所属の俳優・本郷弦さんと「ゲンタケ」を結成し、被災地に笑いを届ける舞台に取り組み始めます。

能登演劇堂で演じる「ゲンタケ」


本郷弦さん「カラっと楽しくああ面白かったと言えるものができたら良いなと思って。タケちゃんにはそういう才能があるので2人で能登に笑いの花を咲かせたいなと思ってやっている。」

勢登健雄さん「高尚なものを見るのではなく、気軽な感じで見て僕たちを笑っていただいて少しでも元気になってほしい。

2人の舞台は、入場無料。

会場の手配から小道具の準備、リハーサル、スタッフは自分たち2人だけです。

演劇堂での公演前の10月31日、被災地の現状を聞くため地元住民との交流会が開かれました。

「能登はもう大丈夫なんですかと聞かれる。能登の情報が世間に伝わってない。」「もう直ったと思っている人がいる。復興終わっちゃったんだねと。え。まだ仮設に住んでるんですか。みたいな」

「観光客は8割減。地元の人は全然出歩かない」

被災地で生活を続ける人たちの声が心に響きます。

地域住民との交流

今年2回目の公演となる今回は、能登を中心に5つの会場で行われます。

俳優業の時間を縫ってボランティアの舞台を続ける勢登さんに両親は…。

母・勢登多位子さん「舞台を見たら息子だから余計にほっとしたのかな。ちょっと笑えた。

父・勢登和秀さん「地元の出身者だけども災害にあってボランティアでみなさんのために活動するという気持ちがうれしい。立派だと思う。息子ながらに。」能登演劇堂での公演には県内外からおよそ170人が集まりました。

「ゲンタケです。ただいまー」

能登半島地震からの1年を「春夏秋冬」の4部構成で演じる舞台。


避難所で生活する住民と市役所の職員とのやりとりでは。

「ここにテレビがほしい」「そんなのでいいの?」

クライマックスは秋祭りを前に東京から若者が太鼓を習いに訪れる最終章。
コミカルな演技から一転、被災地で聞いた言葉をセリフに乗せて伝えます。

能登を訪れた若者「お祭りに参加して太鼓をたたくことが復興祈願になるんじゃないかって」

能登の太鼓名人

「それは違うわ。能登の人間は大変な目にあった。能登のもんの苦しみは、心の痛みはそう簡単には癒されん。でもやぞ、能登のことを思ってすぐに駆けつけてくれた人も、ただただ心配してくれた人も。おらちゃにとっちゃみんな同じ。忘れんでおってくれることがありがたいわいね」

舞台の最後は祭り太鼓を披露します。

祭り太鼓を披露するゲンタケ

勢登健雄さん「普段から応援してくださっている方が沢山いてくれてパワーをもらってやっていた。」

能登に元気を届けるためゲンタケの活動はこれからも続きます。