訓練ではありませんでした。上空を飛んでいたのは米軍の飛行機。これが「10・10空襲」の始まりでした。
主な標的は日本軍の施設でしたが、朝から約9時間にわたり、延べ1396機の米軍機が沖縄全域を断続的に爆撃。学校や住宅地も攻撃され、瀬名波さんは自宅裏の防空壕に避難しました。
「地響きというのを初めて(経験した)。30分、40分ぐらいして終わる。また、15分、20分ぐらいしたりしたから、また始まるんですよ」
自宅は全焼。徴兵された兄を除いたきょうだいと3人と母、いとこと共に、避難生活が始まりました。

「橋を目がけて爆弾が相当落ちたはずだけど、泊の高橋が残っていたから橋を渡って逃げた」
最初にたどり着いたのは、現在の浦添市内間にあった、軽便鉄道の駅。駅には数千人の規模の避難民がいました。














