被害と加害 両方を学んで本当の平和を

この島で作られた毒ガスの砲弾は、日中戦争に投入され、戦後、中国各地に遺棄されました。

内閣府遺棄化学兵器処理担当室によりますと、その数は今わかっているだけで、推定およそ21万発。化学兵器禁止条約により、日本は今年3月までに15万発余りを回収していて、今年度も、2万7千発の処理を予定しています。

終戦から80年経ちましたが、砲弾は今後も見つかる可能性があり、その処理が最終的にいつ終わるかは、わからない、ということです。

毒ガス被害者の遺族 山内静代さん
「年が経てば経つほど、砲弾は腐って中身が出て、環境汚染を引き起こすので、一刻も早くキレイな土・水に戻していきたい。それを早くやってほしい」

毒ガスの砲弾は、中国各地だけでなく、大久野島にも、兵器としては効力がなくなっているものが今も遺棄されていると考えられています。化学兵器禁止条約で処理が義務づけられているのは、国外に遺棄されたものについてですが、山内さんは「島内の砲弾についても国が本気になれば処理できるのでは」と考え、早急な対応を願っています。