『信者自身が納得して寄付』新法では後に返還請求も困難か

ーーどのあたりがカバーできていないのか具体的な例を見ていきたいと思います。救済法案での禁止行為は「寄付者を困惑させる」こと、そして「配慮義務」があります。その中では『自由意思を抑圧』、『生活の維持を困難』にさせない勧誘の方針を明らかにしなさいということが明記されています。例えば、テニスサークルに誘われた女性がいます。仲良くなった仲間から、「あなたのお母さんが調子悪いのは悪い霊がついているかも、私が信仰している神様に寄付をしてみて、良くなるからそれを受けて、その女性は、納得して、宗教法人に寄付した後に、『やっぱり返してほしい』となった場合にこの法案で返ってくるのかということなんですが、こうした場合は返ってくるのでしょうか?
「返ってくるのは難しいと思います。最初の段階で悪い霊がついてると困惑してお金を納めたとしてもその後人格が変容させられて、喜んで団体に貢献するような人格に変えられてしまうんですね。それ以降は明らかに外形的には喜んで自ら進んでお金を納めている、そこまでカバーできるのかというと現状では難しいんですよね。ただ、岸田総理は答弁の中で最初の困惑は献金を収めている後まで実効性があると国会では話しているので
であるならばそういうこともしっかり条文の中に入れてほしいと思います」

ーー困惑がいつを指すのか、今後明文化に注目をしたいということでしょうか?
「例えば自分が被害に遭ってるんじゃないかとまだ気づいてない人が、例えば国や省庁のホームページを見て自分の事例がひょっとして合致するんじゃないかというのがホームページに一覧として出ていればわかりますよね。そういうところでいろんなヒントを与えてほしいなと思うんですよね」

ーーマインドコントロールの定義につてはどのように考えていますでしょうか?
「マインドコントロールを定義するのは非常に困難ってことはわかっているんですが、普通であれば自分や家族の生活が破綻するまで献金するというのは通常考えられませんよね。当然そこには何かしら心理的な操作が行われている結果として、こういうことをしてしまったことについて、明らかにマインドコントロール『何かの心理操作があるんだ』ということを縛ることは条文の中で書くことも可能だと思うんですよ。テニスサークルの例で統一教会の場合に当てはめると、テニスサークル自体が統一教会が人を取り込むためにやっている偽装サークルという形もあるんです。要は最初の勧誘の声かけの時点から既に違法行為だということを配慮義務ではなくちゃんと禁止事項として縛るのであれば、それ以降行われたことが全てを網にかけられるんですね」