戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。終戦直後、アメリカ軍の爆撃機B29が宮崎県の山に墜落しました。この事故で亡くなった12人のアメリカ兵を追悼し続けている男性の思いとは。

郷土史研究家 工藤寛さん
「非常にハードな弾丸登山になりますけど、よろしくお願いします」

宮崎県高千穂町の親父山。工藤寛さんはこの日、仲間たちと毎年恒例の慰霊登山に臨みました。

終戦直後の1945年8月30日。物資を運んでいたアメリカ軍の爆撃機B29が親父山に墜落。20代から30代のアメリカ兵、12人の命が失われました。

工藤さんは38年前、この山で金属片を見つけたことをきっかけに、B29の墜落について調査と慰霊を続けています。

郷土史研究家 工藤寛さん
「俺がやらなかったら、誰もやらんなと思った」

今回の登山には、墜落したB29の副機長の親族、シャノン・グリーンウッドさんも参加しました。

出発から2時間余り。

郷土史研究家 工藤寛さん
「あそこが墜落した場所だよ」

墜落した場所に到着しました。辺りには、今も残骸が残っています。

墜落したB29の副機長の親族 シャノン・グリーンウッドさん
「彼があまりにも若くして亡くなったことは残念に思う。彼に会えたら、どんなによかっただろう」

郷土史研究家 工藤寛さん
「(調査しなければ)このまま埋もれてしまっていたと思う、この墜落現場は。それをわれわれが調べて、シャノンさんと結びついたのも不思議な縁だと思う」

慰霊登山を終え、その日の午後開かれた平和祈念祭。地元の小学生や在日アメリカ軍の兵士も参列しました。

石碑に刻まれた親族の名前を見つめながらシャノンさんは思いをはせます。

墜落したB29の副機長の親族 シャノン・グリーンウッドさん
「私たちのほとんどは戦争の時代を知らない。戦争の記憶は失われていくので、私たちは平和への思いをしっかり守っていかなければならない」

郷土史研究家 工藤寛さん
「戦勝国であろうが敗戦国であろうが、戦争の延長線上で亡くなった方に対する思いは一緒だと思う。勝っても負けても関係ないと思う」

国境を越えた平和を願う心を後世へつないでいく活動が続いています。