兵士たちへの講話
吉田さんは、米兵による事件・事故が繰り返されてきた沖縄の過去、現状を自らの言葉で伝えるため、キャンプ・ハンセンの中で講話を始めた。この講話は、2002年までの町長在任中に毎年4、5回、新兵に向けて行われ、冊子も作成した。

「沖縄の歴史、金武町で起こった事件を米兵に話す。“こういうことをやると、金網を閉めるよ” (基地から出さない)とか。あなたがたも沖縄に来た理由がわからないじゃないかと。何しに来たんだと。兵士に理解してもらうように話すわけです」
少年時代の記憶

金武町出身の吉田さんにとって、米軍基地は身近な存在だった。中学生のころは、毎朝キャンプ・ハンセンのゲートを通り、基地内で米兵に英字新聞を売るアルバイトをしていた。
1995年の事件後は町長として、少年時代に通ったのと同じゲートから、米兵に犯罪抑止を呼びかけるために、基地へと入った。