戦後80年。
戦争で犠牲となった陸軍の少年通信兵を悼むため、通信兵の校舎があった新潟県五泉市で慰霊祭が行われました。
「黙祷…、はじめ」

13日に五泉市の村松公園で行われた少年通信兵の慰霊祭には、戦没者の遺族や地元の人らおよそ50人が出席しました。
村松地域には1943年に少年通信兵学校が開設され、全国から10代の若者が集まり通信技術を学びました。ところが開設翌年の1944年には、およそ300人が卒業を繰り上げられてフィリピンなどの戦地に派遣され、輸送船が攻撃されるなどして多くの若者が命を落としました。

戦後80年の節目の年、この事実を後世に伝えようと、東京と村松の通信兵学校を卒業し戦死した812人の名前と出身地が刻まれた銘板が村松公園に設置されました。
【陸軍少年通信兵慰霊碑を守る会 浅田光雄会長】
「亡くなった人たちのその人たちの残したものを振り返って、この平和を維持していくことが改めて感じさせられました」

【和歌山県から参加した遺族】
「こういう悲劇があったということを、みんなに知ってもらいたいですね」

参加者は、戦争の悲劇を伝えていくことの大切さを、改めて実感していました。