◆《“神様”のような存在…アイヌの人たちに慕われた医師》
一方、遺骨を持ち出したマンロー氏は医師でもあり、“神様”のようだったと振り返るアイヌの人たちもいます。
北海道日高地方の平取町二風谷にある、旧マンロー邸。毎年6月に「マンロー先生を偲ぶ会」が開かれています。マンロー氏は自宅に診療所も構え、当時貧しかったアイヌの人たちを、無償で診療していました。マンロー氏が、イギリスの大学に遺骨を送ってから20年が経っていました。

現在、94歳の萱野れい子さんは、幼いころ、マンロー氏にやけどを診てもらったと振り返ります。
マンロー氏の治療を受けた萱野れい子さん(94)
「はさみのようなもので切って水を出して、そして包帯をしてもらって。クッキーを1つもらって…こんなに美味しいお菓子があるもんだなと思いながら、食べた記憶がある」

マンロー氏の妻・チヨさんが作った『マンロークッキー』の味は、いまも受け継がれています。当時、マンロー氏が、友人に送った手紙が残っています。そこには当時、アイヌの間で流行していた結核に、心を痛めていたことが綴られていました。

マンロー氏が友人に宛てた手紙(抜粋)
『この場所は、医療を受けるのには遠いので、和人及びアイヌの人に対し、少しばかりの医療奉仕をしてきました。二風谷での死亡率はひどいものです。アメリカとイギリスの死亡率は1万人あたり7人なのに比べて、二風谷では350人に7人です」
赤い屋根が目を引く、洋風のマンロー邸は、地元の子供たちにとって、遊び場でもありました。
マンロー氏の治療を受けた萱野れい子さん(94)
「マンロー先生は勉強しているし、別に誰も邪魔する人いないから(子供たちは)自由に遊ぶわけ。そこらじゅう走りまわって遊んだもんです」
『マンロー先生を偲ぶ会』運営委員長 貝澤耕一さん
「神様がいるならマンローさんだろうということは、祖母がよく言っていました。それだけ地域に貢献した、地域の人に慕われたということでしょうね」