1970年の万博では駆け込みで異常事態も
井上キャスター:
駆け込むというのはいつの時代も同じです。
1970年の大阪万博でも、閉幕が迫る週末の9月5日(土)の来場者は83万人でした。単純計算で、今の山梨県の人口が1日でやってきたということになります。
帰りの駅に向かっている所の写真を見ると、混雑がひどすぎて警備員が身を挺して人々を規制していました。ちなみに、この日は約5000人が帰れずに野宿したそうです。
そして、混乱の週末があけた9月7日(月)の新聞では、「入場ストップ…でも払い戻ししません」という、今では考えられない見出しがありました。
万博協会側としては、「入場ストップしたので、駅に来てもらっても困る」ということで、電車を止め、前の駅で全員降ろしました。しかし、降ろされた乗客は歩いて会場に向かったそうで、その数は約6000人、強引に場内に入ったそうです。
今だと少し考えられないですが、万博協会としてもお手上げで、「お願いだから、もうお客さんは来ないで」という小さな神頼みも通じなかったそうです。
どの時代も駆け込み需要があるんだなと思いました。

ちなみに私は8月下旬に大阪万博に行きましたが、やはり関東とは温度差が全然違いました。街を挙げて大阪の人全員で万博を応援していて、街や駅、テレビで毎日のようにオフィシャルテーマソングである、コブクロの「この地球(ほし)の続きを」が常に流れていました。