村上雅則さん:
「(高校2年は夏の県予選直前練習で)ピッチングしてあと2球か3球で終わろうとしたら『おい村上、(打撃練習で)投げろ』、そして投げたんですよ」
「1番、2番、3番(が打った)ピッチャーライナーがここ(左腕)に当たって骨折で終わり」


高校3年の夏の県予選前には食中毒で思うような調整ができず、準決勝で打たれ、甲子園出場を逃しました。

こうして幕を閉じた高校野球の生活。

その後の進路は当初、プロ野球選手ではなく、大学進学でした。
しかし、あいさつに来た南海ホークスの故・鶴岡一人監督が帰り際に伝えた「ある約束」で村上さんは南海ホークスへの入団を決意します。

村上雅則さん:
「帰るときに、『村上君、もし南海に入ったらな、アメリカ行かせてやるぞ』と言った途端に、エッと思って、それから1か月ぐらいしてから入りますと返事した」