■戦争の「情報操作」に翻弄される悲劇 石澤さんが伝え続ける理由とは

「日本国民に告ぐ」と題されたビラには、近く空襲すると告知し、避難を始めるよう呼びかける文言が記されています。


「市民の不安をあおる」「無差別攻撃という非難を避ける」など様々な意図があったと見られていますが、少なくともアメリカ軍は日本を徹底的に研究していたと石澤さんは指摘します。

石澤友隆さん:
「(戦争が始まると)日本では横文字は一切使うなと、すべて英語を駆逐しちゃう。アメリカは逆に日本語を一生勉強し始める。日本を負かせた後で日本語が必要になる、そういう考えから逆の発想でやる。その辺が違っていた」


この日開かれたのは仙台の歴史や文化を学ぶ、まちあるきイベント。石澤さんは、88歳になる今も、仙台空襲について伝え続けています。


参加者:
「(空襲は)大学病院のあたり?
石澤友隆さん:
「市電の循環線の中、プラス南の方を(襲った)」
参加者:
「住宅地を焼いて戦争を終わらせようということ?」


石澤友隆さん:
「そうでしょうね。本当なら(仙台駅の)東に軍事地帯があったのに手を付けないで民間だけ」


なぜ、仙台空襲を伝え続けるのか、その思いを石澤さんが話してくれました。

石澤友隆さん:
「これはいくら話しても実際体験した人でないとわからないが、しかし言わないよりは言って伝えていかないといけない」


戦争がもたらす「情報操作」。市民を不安に陥れ、ときには人の命をも奪う恐ろしい行為なのです。


アメリカ軍は当時、上空からビラを撒いていました。しかし、ビラがまかれると憲兵や警察がすぐに回収にやってきて、市民が所持していると厳しく罰せられたといいます。仙台空襲について事前に避難を進めていれば、被害をもっと少なくできたと石澤さんは話しています。