77年前の1945年、アメリカ軍による「仙台空襲」で、1399人もの市民が犠牲になりました。実はこの「仙台空襲」、ビラやラジオ放送によって、日にちが告知されていたにも関わらず、その事実が伏せられていました。戦争がもたらす情報操作の実態を取材しました。
■不気味な予告ビラ「七月十日は灰の町」
仙台空襲を長く調べている男性がいます。元河北新報社の記者、石澤友隆さん88歳です。仙台空襲に関する著書「七月十日は灰の町」、タイトルをある宣伝用のビラから引用しました。

石澤友隆さん:
「空襲予告のビラ。アメリカ軍が仙台を近く空襲しますと警告のビラや(ラジオ)短波放送で放送している」

1945年7月10日午前0時過ぎ。1399人もの市民が犠牲となったアメリカ軍による仙台空襲。

石澤さんは取材を通して、アメリカ軍が事前に予告のビラをまいていたことを知りました。ビラには、こんな文言が書かれていたと言います。
石澤友隆さん:
「厳密に言いますと『仙台良い町森の町七月十日は灰の町』。7月10日には灰のまち焼かれてしまいますと」

被害を暗示する不気味な文言。本当に仙台空襲は予告されていたのでしょうか?