「反訳書」提出をめぐる対立

この録音テープの「反訳書」は、すでに新井から東京地検特捜部に提出されていた。だが実は、新井から相談を受けていた弁護士の猪狩俊郎(33期)は提出することに強く反対した。猪狩は検事出身で10年間、横浜や仙台など地方検察庁で捜査に携わり、検察の手の内を熟知していたからだ。

「そんなものを出せば、かえって新井が証拠隠滅を図った、関係者に働きかけたと疑われ、逮捕の口実にされかねないと思った」(猪狩)

それでも新井は「これは亀井静香先生(元運輸大臣、元警察官僚)のご意向です。亀井先生が法務省の原田刑事局長(17期)に渡し、原田刑事局長から特捜部に届ければ無罪の材料になるという指示です」と聞かなかった。

新井は自民党に復党する際に旧三塚派の亀井から拾ってもらい、事件当時は亀井グループに属していた。

一方、猪狩は「そんなことをしたら自殺行為だ。公判で反証の材料として出せばいい」と何度も説得を試みたが、新井は聞き入れなかったという。

猪狩の考えはこうだった。

「特捜部は反訳書を読んで捜査方針を変えるはずがない。むしろ早い段階から関係者に働き掛けて、証拠隠滅を図っていた動かぬ証拠として利用されるだけ。これらの証拠は無罪立証の頼みの綱、隠し玉としてとっておいて、のちに公判段階で争うべき」(「激突」猪狩俊郎)

しかし、新井は「亀井の指示」だとして、「特捜部に顔が利く弁護士を紹介してほしい」と猪狩に要請した。

猪狩は「一方でむなしさも覚えたが、依頼人の意向は尊重しなければならない」と思い、弁護士会で同じ派閥にいた元東京地検特捜部副部長で、弁護士の永野義一(22期)を紹介した。

永野は「僕はこの事件を穏やかに処理したい。反訳書を出してくれれば、後はなんとか新井さんの意向を検察に伝え、できれば(強制捜査でなく)任意捜査で済ませるよう特捜部に掛け合ってみるから、承諾してほしい。もし、嫌なら僕は新井の弁護を辞任する」と、猪狩に威圧的な態度を取ったという。

猪狩は自著でこのときの永野の言動について、「この狸親父め、やっぱり特捜と通じたなと思った」と批判している。ただし、新井が「絶対に出したい」と言い張る以上、やむなしと判断して反訳書の提出を了承したのだ。

「反訳書」は、弁護人の永野から法務省刑事局長の原田明夫に手渡されたとされるが、それは新井にとって案の定、完全に「裏目」に出ることになった。

東京地検特捜部は、「録音テープ」および「反訳書」の提出そのものを「証拠隠滅の恐れあり」と判断し、逮捕許諾請求を補強するための「疎明資料」(客観的に確認できる資料)として添付したのである。

そのころ、特命班の粂原は新井の議員会館事務所への強制捜査に着手していた。新井の秘書に依頼し、「録音テープの原本」を回収。さらにそのコピーを報道各社に配布する段取りまで整えるという、異例の家宅捜索が行われていた。

新井議員の顧問役だった元検事・猪狩俊郎弁護士(33期)