第二次世界大戦中、およそ10万人のポーランド人がウクライナの民族主義者により虐殺された事件があります。その犠牲者の遺骨が掘り起こされ、先週末には追悼式が行われました。80年経った今、何が起きているのでしょうか?
ウクライナ西部で行われた、「ヴォリーニの虐殺」の追悼式。1943年から45年にかけて旧ポーランド東部で、民族対立からおよそ10万人のポーランド人がウクライナの民族主義者によって虐殺された事件です。
虐殺を生き延びたシチュパチンスキさん(93)。民族主義グループ「ウクライナ蜂起軍」が村を襲ったのは、13歳の、ある寒い冬の夜でした。
虐殺を生き延びたポーランド人 シチュパチンスキさん
「誰かの叫び声で目が覚めました。まだ冬でしたが、裸足で外に駆け出しました」
村が炎に包まれる中、家族とともに塹壕に身を隠しました。
虐殺を生き延びたポーランド人 シチュパチンスキさん
「人々が殺され悲鳴が上がり、強姦される声を聞きました。そして(村を焼く)恐ろしい煙も…」
虐殺にはナタや斧が使われ、凄惨を極めたといわれています。
一夜明け、村に戻ったシチュパチンスキさんらは70体を超える遺体を埋めたといいます。
村はその後、ソ連に編入され、現在はウクライナ領に。遺族らはウクライナ政府に埋められた遺体の調査を許可するよう求めてきましたが、受け入れられませんでした。
ところが、今年に入ってシチュパチンスキさんの村でポーランドとウクライナの団体による合同調査が始まったのです。掘り起こされたのは42人分の遺骨。DNA鑑定が行われ、ようやく尊厳をもって弔われました。
なぜ虐殺から80年経った今なのか?それはロシアによる侵攻が続くウクライナに対し、ポーランド側が「ヴォリーニの問題が解決しない限りEUへの加盟はない」と突きつけたからです。EU加盟を強く望むウクライナは調査を許可。ゼレンスキー大統領も加害の歴史に向き合う姿勢を示しました。
虐殺を生き延びたポーランド人 シチュパチンスキさん
「私たちはこれを待っていましたが、終わりではありません。一つの墓が掘り起こされたに過ぎないからです」
ポーランド側は、5万人以上の遺骨が今も一帯に埋まっていると推計しています。
シチュパチンスキさんは、調査によって歴史が検証され、過ちが二度と繰り返されることのないよう願っています。
虐殺を生き延びたポーランド人 シチュパチンスキさん
「『復讐したいか』と尋ねられたことがあるが、私は一切復讐を望みません。私にとって大切なのは真実が忘れ去られないことだけです」
注目の記事
「市道の陥没 実は3年前に見つかっていた腐食」対応していなかったのか?取材に対し市の担当者は…市内では約10年で1035か所の空洞 日本の道路は大丈夫!? 仙台

「壊滅的な気温上昇」それでも進まぬ再生可能エネルギー... あくまで“民間事業”かそれとも“支援”か 問われる国の再エネへの本気度【サンデーモーニング】

「3行超えたら威圧感」「その絵文字は怖い」令和7年のSNS作法 あなたはついていける?「インスタは顔にモザイクがカワイイ(*´ー`*)」え??【原田曜平教授も解説】

ラオスで広がる日本人“児童買春ツアー”の闇 授業の合間に呼び出され…性的搾取される少女たち

「すごく運転がうまくて憧れた」中学時代からの夢、バス運転手へ 19歳デビューは県内初 地域の足支える若き担い手に期待 富山

年金の「強引徴収」で経営危機に陥る運送会社...20人以上の運転手解雇 『社員が横領』犯罪被害で厚生年金の猶予を申請...年金事務所は「猶予する理由がない」原因は職員の"勉強不足"か
