かつては源義家らが、合戦の記録を残すために書いたのではないかとされてきましたが、現在はこの戦いで源義家とともに戦い、勝者となった清原清衡(のちの藤原清衡)らが書いたのではないか、という見方が強くなっています。

六郡一の名馬・花柑子を敵にとられまいと射殺する家衡

そしてそこには「この地でこんな凄惨な出来事があったが、このようなことを繰り返してはならない」というメッセージが込められていると思われます。

そして、それは仏教により平和な都市・平泉を造ろうとした清衡の中尊寺建立の思いとつながります。

池に身を潜めたものの、すぐに発見される家衡

平泉世界遺産ガイダンスセンターの八重樫忠郎センター長は「世界情勢が不安定になっている今、平和を目指した平泉の理念を考える時ではないかと思います。是非、この展示を見て、平和について考えて欲しいです」と話していました。

この展示会は11月30日まで、平泉町の岩手県立平泉世界遺産ガイダンスセンターで行われています。